遺伝と遺伝子 〜 注46

公開: 2023年12月30日

更新: 2023年12月31日

注46. 大和の大王

弥生時代の終わりごろから、現在の西日本では、各地域に権力を持った豪族(ごうぞく)が生まれ、地域間の争いが頻発したと言われています。それは、いくつかの遺跡で発見された人骨に残されている腰骨に刺さっている矢じりや、頭蓋骨に残された大きな傷などから推定されています。そのような地域同士の戦いを通して、強大な権力を持った大豪族が生まれました。

弥生時代から古墳時代になると、各地の大豪族達は、競って巨大な墓を建設し始めました。それは、彼らの権力を目に見える形にするものであったと言えます。古墳の形も、単純な四角形の「方墳」(ほうふん)から、より複雑な「円墳」(えんふん)、さらにそれらを組み合わせる「前方後円墳」(ぜんぽうこうえんふん)が大和の大王(やまとのおおきみ)によって生み出されました。

その「前方後円墳」が生み出される過程で、大和の大王は、周囲の豪族との戦いに勝ち、権力を大きく拡大しました。その結果、大和の地域に巨大な権力を持った、現在の天皇家の祖先である「大和の大王」が生まれ、前方後円墳も日本国中に広まって行きました。各地の豪族たちは、大和の大王に従う姿勢を、前方後円墳を建設することで表したようです。現在の埼玉県に建設された奈良時代の古墳からは、天皇から豪族に与えられた鉄剣が発見されています。

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